宗教法人の献金と施し
私たちが献金を、もし献げ物として神様に献げているなら、「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。
喜んで与える人を神は愛してくださるからです。」(コリントの信徒への手紙二9章6-7節)
使徒言行録2章 44-45節
聖書は、受けるよりは与える方が幸いであると教えています。
献金は、会費・寄付金のように義務として強いられてするものではなく、神への感謝にあふれて献げるものです。
コリントの信徒への手紙二8章 7節
礼拝などで捧げる献金のことを一般献金といいます。
「イスラエルの人々に命じて、わたしのもとに献納物を持って来させなさい。
あなたたちは、彼らがおのおの進んで心からささげるわたしへの献納物を受け取りなさい。」(出エジプト記25章2節)
献金の目的
コリントの信徒への手紙二8章9節
釣り合いの献金
コリントの信徒への手紙二8章 13-14節
神に感謝する献金
コリントの信徒への手紙二9章 12節
伝道のため
コリントの信徒への手紙二9章 14節
献金は月定献金、特別献金、感謝献金があります。
月定献金を捧げる場合、南町田教会では「月定献金袋」に金額を記載し捧げますが、これはあくまで神様に捧げるものです。
献金する人が納得して、喜んでするものであれば、金額の多少にかかわらず、いくらでもいいのです。
「夏期、冬期・クリスマス・イースター」「会堂献金」「指定献金」等を総称して「特別献金」と言います。それぞれの時期に神様の恵みを覚えてする献金です。
感謝献金はたとえば受洗記念、誕生記念、出産記念、結婚記念などです。
必要に応じて神様の恵みに応える意味での献金です。
詩篇112編に、「恵み、施しにより神様から義とされる」とあります。
キリスト教のある人々の間では明治の昔から献金のことを「信施(しんせ)」と言いました。
信仰の施しという意味です。
「貧しい者をあわれむ者は主に貸すのだ、その施しは主が償われる。」(口語訳 箴言19: 17)
施しというのは、一般には、何よりも与えることです。お金や物を差し出すことです。
施しは愛の寛大さをわたしたちに教えます。
施しというのは、「受ける者」だけではなく「与える者」も、ともに益するものなのです。
そして、ともに感謝の思いに満たされるものなのです。そうした施しが、神の力においてなされる施しなのです。
「豊かにまく者は、豊かに刈り取ることになる」ということです。
「豊かにまく者」とは、日々の生活において神に向き合い、感謝をもって生きる中で、惜しむことなく、
相手の祝福を祈りつつ、喜んで、施しをする人のことなのです。
施しをすることは、その信仰を豊かにすることにもつながっているのです。
そして、聖書は「豊かに刈り取る者」になるようにと、人々に勧め、また励ましているのです。
施しをすることは、教会の雑用や奏楽・音楽演奏奉仕、清掃や食事の準備など、すべてが施しです。
キリスト者は十字架の死を通して無償で自分自身を与えることによって、自らの存在の意義を決定するのは物質的な富ではなく、
形の施しを促すのも「無償の愛」であることを証明するのです。
捧げる献金
「また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、
わたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。」(コリントの信徒への手紙二8:5-6)
福音書の中のやもめの献金(the widows mite)は「貧者の一灯」です。
ある女性は、乏しい中から「生活費の全部」(マルコ12・44)を賽銭箱に入れました。
そのほんのわずかな献金が多くを語る教えになっています。
このやもめは、有り余る中から、持っている何かを神にささげるのではなく、彼女の存在をささげます。
つまりそれは、自分のすべてなのです。
献金の公明正大
「わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。
わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。」(コリントの信徒への手紙二8:20-21)
「献金」は強制や戒律的な義務ではなく、あくまでも自由な心から感謝をもってすべき信仰的な行為ですので、
厳格に金額の指定がなされることはありません。
「月定献金」(自由意思による決定献金)に対して世俗の会費とか税金などのような感覚をもたないようにしなければなりません。
実際にいくらの金額にすればよいかは、教会での目安を参考にして自分で決めます。
仕事をして収入を得ている方はすべて「月定献金」をするのが本来です。
「月定献金」があってこそ、事実、教会が運営されます。「月定献金」は地上の教会の見える面での生命の糧です。
献金規定
「ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、
好まれもしなかった」と言われ、 次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。
第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。」ヘブライ人への手紙 10: 8-9
律法に従って献げられるものを神様は望まないし、好みもしないと書かれています。
わたしたちが、外面的な献げ物を神様に献げるのではなく、わたしたちの内面的な献げ物、愛の献げ物を少しでも多く神様に献げることです。
一般会計
法律上の定義では、一般会計は「特別会計に属さないすべての会計」ということになります。
そこでもう少し具体的に表現すると、「一般的な行政にかかる経費を扱うもの」だということができます。
つまり、通常の教会事業の範囲で毎年必要となるような経理のことです。
特別会計
こちらも法律上の定義から見ていくと、「特定の事業を行う場合」に「一般の歳入歳出と区分して経理する必要がある」説明されます。
大事なところは一般会計から切り離して独立して行われる経理だという点です。
特別会計は決まった用途にしか使えないということでもあります。
一般会計ではその年の状況によって予算を柔軟に配分することができますが、
特別会計の場合は「あっちの予算が足りないから回してあげよう」という使い方はできません。
「 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイによる福音書6:20)
教育・福祉指定献金
「信者の婦人で身内にやもめがいれば、その世話をすべきであり、教会に負担をかけてはなりません。
そうすれば教会は身寄りのないやもめの世話をすることができます。」(ローマの信徒への手紙15: 26)
「経常外収益」および「経常外費用」は、「本来の活動以外の活動を原因とするもの」や
「臨時・偶発的に発生したもの」ということになります。
用途を指定する献金のこと、たとえば「教育献金」のように用途を指定するものや
「慈善の業」など教会外の団体への献金「福祉献金」などが含まれます。
教会の役員会の報告、経常外特別献金として会計処理後,教会から指定された人・団体へ献金を送る手続きをします。
宗教法人南町田教会「世俗的側面」「宗教的側面」
「土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。
それは聖なるもので主に属す。」(レビ記27:30)
「わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、
あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」(創世記28:22)
憲法は、「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(憲法30)と定めています。
宗教法人が公共事業と判断される理由は、古来からの伝統や慣習を継承していくという役割があるためです。
宗教法人は、「世俗的側面」または「俗」の面と、「宗教的側面」または「聖」の面を持ちあわせた法人です。
憲法が保障する政教分離原則(憲法20)のもと宗教法人の「宗教的側面」「聖」の面に対する課税権の行使は抑制されなければなりません。
信仰心に基づいた献金は寄付の一種であると判断され非課税です。
宗教法人は「原則的に法人税が課税されない法人」です。
株式会社は、株主などの出資者が出資することで設立され、職員を雇用して事業を行います。
出資者は会社に資金を提供するのと引き換えに配当金を受け取り、職員は会社に労働力を提供するのと引き換えに給料を受け取ります。
職員の給料に対する課税が所得税で、出資者の配当金に対する課税が法人税であります。
宗教法人の場合、牧師は株式会社における職員と同じように宗教法人から給与を受け取っているので、所得税を納めています。
しかし宗教法人には、「出資者に対して配当金を分配する行為」が法律で認められていません。
礼拝での献金を支払っても配当金は貰えません。
つまり、宗教法人には配当金という制度が無く、出資者が存在しないため、法人税を課税する根拠がありません。
宗教法人がかかわる税は、大きく次の3つの判断が必要です。
法人税…課税対象となる“収益事業”に該当するかどうか
消費税…課税売上に該当する譲渡等かどうかの判断
所得税…給与や報酬などに係る源泉徴収
宗教法人において、代表役員(牧師)や職員等に給与や退職手当を支払う場合、説教等の謝礼金を支払う場合には、
源泉徴収義務者として、その支払の際に、所定の所得税を源泉徴収して納付する必要があります。
所得課税の面からの宗教法人に関連する地方税としては、道府県民税、市町村民税および事業税があります。
これらの税金についても宗教法人は、税務収益事業を行っている場合を除き非課税となっています(地税法25、296、72の5)。
所得税においては、宗教法人が受け取る利子や配当は非課税となっています。
公共法人等及び公益信託等に係る非課税(所税法11条、別表第一)
宗教法人名義の預貯金などの金融資産にも税金はかかりません。
収益事業であれ非収益事業
「七年目ごとに負債を免除しなさい。 負債免除のしかたは次のとおりである。
だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。
主が負債の免除の布告をされたからである。」(申命記 15:1-2)
宗教法人も収益事業であれ非収益事業であれ、一般の事業者同様、その行う課税資産の譲渡などについて
消費税の納税義務を負い、各種の税額控除や申告、納付などの制度が適用されます。
宗教法人の収入には、寄付金、喜捨金などのように課税の対象とならない収入(特定収入)が多く、
それによって課税仕入れに充てられているという特殊性があります。
この課税仕入れは最終消費的な性格を持つものであり、特定収入の収受はその分担に過ぎないと考えられます。
そこで宗教法人については、特殊な取り扱いとして、仕入税額控除の計算に当たり、特定収入に見合う分だけ仕入税額控除が制限されます。
課税対象となる対価の年間合計額が少額の場合(現行では1千万円未満)には 納税義務が免除されていますので、
本来の活動以外からの収入が少額の場合は、概して消費税の課税はありません。
収支計算書
「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、わたしはあなたに命じる。
この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい。」(申命記 15: 11)
「土地を売らねばならないときにも、土地を買い戻す権利を放棄してはならない。
土地はわたしのものであり、あなたたちはわたしの土地に寄留し、滞在する者にすぎない。」レビ記 25: 23
教会では永代に売る者、私利私欲なる金益を蓄積する者は規制されます。
宗教法人は、その事業年度の収支計算書を原則として、事業年度終了の日から4ヶ月以内に所轄の税務署長に提出しなければなりません。
ただし、事務負担に配慮して、年間収入8千万円以下の小規模な法人などについては、 収支計算書の提出を要しないこととしています。
なお、8 千万円の収入金額は、事業年度毎に計算した基本財産などの運用益、会費、寄付金、事業収入などの収入の合計額によるものとされ、土地建物などの資産の売却による臨時的に発生する収入は8千万円の判定に含めないこととしています。
多くの宗教法人が、ここに該当し、申告も収支計算書の提出も不要とされています。
教会が保有している株を売却した場合
「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。
また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(ルカによる福音書19: 8)
一般的に株を売却した場合は20%(上場株は10%)課税されますが、教会が保有している場合は非課税になります。
「会堂を改築するための資金を調達するため」という名目で株を保有している場合がほとんどだからです。
よって、教会が保有している株は非課税になります。
憲法の「信仰の自由」を守るためには、教会の財産を保全しなければならないので宗教法人の税制度は優遇されています。