各種感染症対策
南町田教会では、季節性インフルエンザおよび新型コロナウィルスの同時流行に備えた対応をしています。
ご来会の際にはマスクの着用をお願いします。空気清浄機の設置、手指消毒薬を常備しています。
南町田教会では、季節性インフルエンザおよび新型コロナウィルスの同時流行に備えた対応をしています。
ご来会の際にはマスクの着用をお願いします。空気清浄機の設置、手指消毒薬を常備しています。
宣教委員会と生活協力サービス委員会では
地域の社会福祉施設など15の施設へお米と野菜の寄付活動を行いました。
社会福祉法人 南町田ちいろば会高齢者総合福祉施設 みぎわホーム
社会福祉法人 芙蓉会総合福祉ホーム 芙蓉園
社会福祉法人 合掌苑 養護老人ホーム 合掌苑
社会福祉法人 正吉会特別養護老人ホームまちだ正吉苑
社会福祉法人 みどり福祉会特別養護老人ホーム 高ケ坂ひかり苑
社会福祉法人 賛育会 特別養護老人ホーム清風園
社会福祉法人永寿会特別養護老人ホームかりん町田
社会福祉法人 悠々会 特別養護老人ホーム悠々園
社会福祉法人 愛恵会乳児院
社会福祉法人基督教児童福祉会バットホーム博士記念ホ-ム
社会福祉法人 福音会
町田市福祉サービス協会介護老人福祉施設コモンズ
特定非営利活動法人 湧和
本町田高齢者在宅サービスセンター
株式会社らいふ 介護サービス付高齢者住宅
ホームステーションらいふ町田
学校法人 町田こひつじ幼稚園
マタイによる福音書 10章 8節
「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」
マルコによる福音書 12章 35-44節
イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。 ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』 このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、 会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、 また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
今まで三大感染症と呼ばれる、エイズ、結核、マラリアで、毎年250万人が亡くなっている。新型コロナ感染症はたとえ拡大の勢いが低下していても、対策を怠れば状況は再び悪化することになる。感染症対策に終わりはない。人が動けば、ウイルスも動く。感染症対策は簡単に防止できる訳もなく、感染者が咳をすれば、周りに感染するのは明らかで今後も変わることはない。医療従事者と国民の多大なご尽力、外出自粛や休業要請等のにより、新規感染者数が減少に転じ、感染拡大は克服の兆しを見せている。
これからも、国民の危機管理認識と過剰に心配することなく、マスクの着用や手洗いの徹底などの通常の感染症対策防止し、ウイルスや細菌などの病原体が体内に侵入しないように注意することである。
世界はこれ迄の歴史の中で様々な感染症を克服してきた。しかし、今後、新型コロナウイルス感染症の変形した広がりと感染症の脅威が世の中から消えることはない。
今、私たちがやることは、一日も早く、新型コロナウイルスのワクチン・治療薬の開発をすすめることと寄付活動を活性化することを望むことである。
私たちの寄付行為は寛容だけでなく、喜びに動かさなければならない。
「個人の財産の所有と蓄積は人生に対する満足感は上がるが幸福感(emotional well being)は上がらない」教会の大学生会による寄付活動は社会貢献意識によるものである。
新型コロナ感染症の克服のため、地域の方と共感し、理解し、寄付する。この働きは、「平和を保つ」という新型コロナ感染症 に起因する社会的宿題である。
「平和を保つ」ため、お米の寄付を第2の寄付活動しとして、展開する。
聖書には寄付という文字は記されてない。聖書のツダッカという言葉は、寄付、救済、救援という意味で使用され、実際には「義、正義、公平」という意味であった。聖書とユダヤ社会では、貧しい人々を救済することを単に慈悲を施すことではない。むしろ「救済」は、公平と定義を一つに抱いている公義の次元で扱われるべき義務といて信じていた。つまり、「ツダッカtsedaqah)」の精神のよると、貧しい人々を助けることは、すべての人が、当然実践する義務なのだ。
コリントの信徒への手紙二8章 13-15節
「他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。
あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
『多く集めた者も、余ることはなく、わずかしか集めなかった者も、不足することはなかった』と書いてあるとおりです。」
コリントの信徒への手紙二8章2-4節
「彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。」



教会は公共施設であり、礼拝は神と人の交わる社会である。
教会も新型コロナウイルス感染拡大防止対策を講ずることが重要である。
新型コロナ対策で社会全体が重い空気に包まれている。また、人と人の距離感が求められている。感染リスクを抑えるために、教会もそれぞれの地域における社会的責任、そして感染が発生した場合のその後の影響の大きさを分かち合うことが大事である。
南町田教会は「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマの信徒への手紙5:3-4)神の御言葉を隣人と共に生きることとして理解し、宣教委員会と大学生会を中心に企画、実行し、まず第1回目としてマスクを地域の子どもたち、地域の方、社会福祉法人施設に寄付した。
寄付先は地域の町内会会長(10枚)、地域の保育園(10枚)、社会福祉法人ちいろば会みぎわホーム(100枚)、社会福祉法人バット博士ホーム(230枚)、社会福祉法人マルタ会打越保育園(100枚)、サンドーレ(30枚)。引続き寄付する。




創世記1章 11-12節
「神は言われた。『地は草木を生えさせよ。種をつける草と、種のある実を結ぶ果樹を、それぞれの種類に従って地上に生えさせよ。』そのようになった。 地は草木を生じさせ、種をつける草をそれぞれの種類に従って、種のある実をつける木をそれぞれの種類に従って生じさせた。神は見て良しとされた。」
出エジプト記 24章6-7節




東京都の緊急事態措置が5月25日に解除された。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、教会員の安全・安心への様々な取組みを実施している。教会では安心して礼拝ができるように、手指のアルコール消毒、マスク着用、室内の換気、座席の距離を保つようにし、感染対策をしている。日本の感染者数は一進一退を繰り返し、未だ終息の見込みが立たず、教会も感染症対策防止として「3つの密」を避ける。1.密閉空間2.密集場所3.密接場面。また、感染対策として礼拝堂において、マスクを着用しマスクなしでの会話は控える。玄関入口のアルコール消毒で手を消毒する。礼拝堂では人との間隔を空けて、相手との距離を空けて(1m以上)信徒席に座る。礼拝中説教者(説教の時)と司式者(司式の時)はマスクを外す(講壇が会衆席より比較的遠いし天井が高いまた、出席人数の割には礼拝堂が広いため)。讃美歌はマスクを付けた状態で通常通り歌っている。礼拝の讃美歌、交読文は、短い曲をなるべく選ぶ。食物の関係で礼拝の聖餐式を中止する。礼拝以外の木曜祈祷会 壮年会 青年会 婦人会 みぎわホーム朝礼拝 諸集会を休会している。南町田教会は教会と地域の協力を大事にしている。地域の落ち着きに感謝しつつ、自分たちのからだと心がまず守り続けられるように祈る。そして、私たちの手の届かないところで、ウィルスによるあらゆる形での苦しみ、痛みを受けている方々の中に、慰めと平安を祈る。今回も学生会は地域と共に生きるという対策として地域の小学校にマスクの寄付を行った。




新型コロナウィルスと栄養
亀浦利佳(管理栄養士)
礼拝の中でこのような証をする機会が与えられますことを感謝いたします。
新型コロナウィルスの時代に、管理栄養士という職業を通して見える食べ物の意味について、人間が食べることの根本的な意味について考え、理解したことを 証いたします。
人間の身体には金属元素があります。人間の身体にはおよそ60兆個、約200種類の細胞が存在します。細胞が組織を作り、筋肉や内臓など器官を構成します。栄養学的に、栄養を摂取するのは、細胞が栄養素を必要とするからです。細胞は、元をただすと30種類以上の元素からできています。それらの元素のうち、およそ95%は酸素・炭素・水素・窒素が占めます。残りの僅か約5%がカルシウムやナトリウム、カリウム、マグネシウムといった金属元素です。これらの金属元素は主に電解質としてプラスかマイナスの電化をもつ状態で身体の中に存在しており、細胞の内側と外側で電気のやりとりをしながら細胞の働きを支えています。筋肉が動く時、脳で物を考える時、心臓の鼓動すら、細胞内外でイオン化した金属元素が、激しく行き来しています。その濃度バランスは体の中で厳密に保たれ、一種類でも不足すると、生命の存続に支障をきたします。しかし、人間は金属元素をほぼ体内で作り出すことはできません。 食べ物から摂る必要があるのです。
WHOは、新型コロナウィルスに対抗するための 身体の免疫機能を維持するには、良好な栄養摂取が重要であるとし、「最高の食品購入リスト」というものを紹介しています。
その中で、新鮮な野菜と果物を、一日 最低400g食べることを推奨しています。日本人の食事摂取基準においては、一日 350g以上が目標とされています。免疫栄養学において免疫力は、食べ物を通しその活性の維持と攻撃力、抗ウィルス作用、抗炎症作用などが総合的に働いて、機能するとされます。例えば、じゃが芋に含まれるビタミンCは、免疫作用での白血球の働きを強めます。ピーマンは免疫活性を維持するだけでなく、免疫の攻撃力を強め、抗炎症作用の働きがあります。にんにく、玉葱、長ネギに多く含まれる硫化アリルは、一部が体内でアリシンという成分に変化し、免疫を整える効果があります。納豆やキムチ、ヨーグルトなどの発酵食品や、食物繊維を多く含むきのこ類、枝豆・大豆は、腸管免疫を整える食材の、代表と言えます。腸は、免疫細胞の60~70%が集中すると言われる器官で、独自の免疫システムによって身体を守る重要な役割を果たすからです。 ウィルスから身体を守る力、体作りは、様々な種類の食材が持つ、良い特徴を組み合わせることによって発揮されるのです。
南町田教会では、新型コロナウィルス感染防止対策委員会・生活協力サービス委員会が発足し、マスクとお米の寄付活動が学生会・宣教委員会を中心に進められました。そして現在は、様々な野菜や果物等を購入することで、その収益を寄付に用いていくための活動へと発展しています。毎日様々な野菜や果物が教会に届けらます。さつま芋、南瓜、大和イモ、蓮根、人参、玉葱、長葱、キャベツ、大根、ほうれん草、小松菜、ニラ、トマト、ミニトマト、茄子、オクラ、冥加、椎茸、とうもろこし、胡瓜、ズッキーニ、ゴーヤ、
ピーマン、ブロッコリー、パプリカ、空豆、枝豆、大豆、隠元、じゃが芋では男爵・きたあかり・メイクイーン、落花生、くるみ、らっきょう、にんにく、生姜、そしてレモン、バナナ、文旦、梅、さくらんぼ、メロン、スイカ、梨、桃、マンゴー、ブルーベリーと、今までに経験したことのない量の野菜や果物が手に入ります。仕事を終え家に帰ると、
沢山の野菜たちが待っています。スーパーマーケットへ買い物に行くという感染のリスクと労力が取り除かれ、体と時間にゆとりを持って、食事の支度ができるようになりました。豊富な量と種類の食材が常にあることで、これを使って何ができるだろうと考え、家族と
一緒に作り方を調べたり、きちんと食べ物を使おうとする気持ちが生活の中に根付きました。私は体型が細く、疲れやすい体質のために、栄養士の仕事の中で行う施設内のラウンディングや厨房とフロアとの連携のための対応に、身体が疲労困憊していました。けれども今は、エネルギー代謝に不足していたと思われるビタミン類や、電解質のバランスが上手く保たれ、元気に動く力を一日維持することができています。身体が以前よりも健康になり、生活の質が向上していると実感します。感謝いたします。
さて、食べ物は土地から生まれます。申命記8章7-10にこう記されています。「あなたの神、主は良い土地に導き入れようとしておられる。それは平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地、小麦、大麦、ぶどう、ざくろが実る土地、オリーブの木と蜜のある土地である。不自由なくパンを食べることができ、何一つ欠けることのない土地であり、石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地である。あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。」ここに登場する鉄と銅は、最初に述べました金属元素です。鉄は光合成に、銅は呼吸活動において、植物にとっては必要なものです。鉄は、土から吸収した窒素を養分として代謝する際に、酵素として働き、葉緑素の合成経路にも働きます。また光合成によって作られた産物から、ATPと呼ばれるエネルギーを生産する時にも鉄が使われます。植物は鉄だけでなく、カルシウム、カリウム、マグネシウム等、土に含まれる他の元素も根から吸収することができます。それらは人間の身体にも重要なものです。人間は、植物が土から吸い上げた必須元素や、創り出された産物である栄養成分を無意識のうちにいただいているのです。
食べ物は、「生きる」に欠くことのできないものです。では、人間はなぜ食べるのか
という疑問が生まれます。コリントの信徒への手紙Ⅰ 8:8には、「わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。」と書かれています。神様は人間を創られた後に、これを祝福し、すべての生き物を管理することを命じられました。人間に対し先ずその責任を明示し、その後に食物の宣告を与えられました。 食べることは本来、人間の食欲や楽しみを満たすために存在するのではありません。 土地から生まれ、雨と共に育まれる恵みを口から摂り入れ、精巧な生化学の仕組みによって肉体を整え、その身体を用いて働き、神様の栄光を称える、食物はそのためにあるのです。コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:31には、「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を表すためにしなさい」と記されています。食べることは生きる目的ではなく、神様の創造の秩序に参画していくための、手段です。これが「人間はなぜ食べるのか」という問いへの答えであります。手段が目的化しないように、始めに神様がおられるという順序と意味を信じることが大切です。神様から与えられる恵みに与るに 相応しい姿になることは、人間の本質的な課題です。 神様へ感謝をすることは、与えられる物への感謝に繋がります。物に感謝をすれば、与えられる状況や時間に感謝ができます。そして人に感謝ができます。人への感謝は平和をつくります。そのようにして食べ物によっても、人間の心が蘇生される機会が与えられます。
教会に届けられる野菜の中には、美味しく作られているにも関わらず、形やサイズが規格と異なるために、市場に出せないものも含まれます。廃棄される食品ロスは、生産量の4割に達します。立派な野菜だけでなく、捨てられてしまう野菜をあえて購入することは、農業に携っておられる方々への救援活動に繋がっています。 食べ物が神様と人、人と人とを結ぶ尊い賜物に用いられ、心の糧としても与えられていることを覚えます。私たち一人一人の健康と生活、心が守られることを感謝し、隣人を愛することの方法を知り、これからも見えないウィルスと向き合っていくのです。2020年の時代における、南町田教会の食べ物を通したミッションは、困難から逃げず、愛と平和をもってそれを乗り越えていく、救済の働きであります。神様に感謝し、自分だけでなく、家族、そして教会の家族、隣人の健康が守られ、一人でも多くの人が助けられるようにと願いお祈りしたいと思います。
これで証を終わります。


