2025年度活動計画
2025年 南町田教会活動計画 牧師 黄昌性
主題 あなたがたは地の塩である。Ye are the salt and light of the earth.
「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。」
マタイ5:13-14
教会活動の目標
牧会の方向性と目標:「神に喜ばれる教会、神にのみ喜ばれる教会!」
人々を満足させることよりも、神に喜ばれることに力を注ぐ(ガラテヤ1:10)。
教会活動の目標は、キリストの愛を人々に伝えることであり神の御国を完成することである。また、イエス・キリストの死と復活により罪赦された者として心から主に礼拝をささげることである。
南町田教会は2027年に創立50周年を迎える。聖書における50周年は、ヨベルの年(大恩赦の年)である。ヨベルの年は50年に一度やって来る解放の時である。私たちは、ヨベルの年の宣言に備えるために教会のすべての力をもってその活動を通じて伝道活動の視野を広げるよう努める。
取り組みについては委員会を設置するなどし、教会員の協力をいただき50周年を迎える教会の伝道と教会形成についてのまとめを行っていく。
新型コロナウイルス感染症対策に関し、政府は「2 類相当」から季節性インフルエンザ同様「5 類」に移行する方針を出している。南町田教会では、マスクの着用のほか、主日礼拝において讃美歌の歌唱を1-2節のみとし、聖餐式の執行の方法と回数を調整する(教会暦;復活日4月20日、宗教改革記念日10月31日、聖徒の日11月2日、クリスマス12月21日)。また愛餐会、各集会、食事会等については、状況を鑑み配慮した上で実施する。
牧会計画と行動の指針
キリストは「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にする」(ルカ4:18)
教会は、神の栄光を地上において明確に現すことを通して神を礼拝するために存在する。牧会の主な目的は、神を知り、神の栄光のために生きることである。教会に集まる人々が共に誠実な態度で聴き合い、対話をし、祈り、お互いを支えあいながら成長する。
「教会の本質は三つの務めによって表される。」
説教(ディダケー)、聖礼典(洗礼と聖餐の二つサクラメント)、奉仕(ディアコニア)。この三つの務めは互いに関係し合う。説教は「目には見えない神の御言葉」である。教会は真理の言葉によって一つになるべく伝道することを前提として聖礼典を祝う共同体である。
聖礼典は「目に見える神の言葉」である。神は目に見える手段を通して、わたしたちの内にキリストの恵みが与えられていることの確かな保証を与えて下さる。聖餐は目に見える行為を通して、主イエスの十字架による贖いの出来事を証しする。洗礼は「罪の赦し」を私たちに与え、主イエスの死と復活に与らせ、私たちをキリストの体である教会の肢とする。聖礼典を祝う共同体は愛の奉仕へと突き動かされていく。愛の奉仕は、イエス・キリストの生き方を展開することである。
この三つの務めをわたしたちの教会の使命として、さらに以下の四つを形成し務めを行う。―「伝道する共同体」、「礼拝する共同体」、「教える共同体」、「交わりの共同体」
「伝道する共同体」
救済の信仰-Salvation
救いを経験する中で成長するにつれて、神が与えてくださった祝福を分かち合う。特別な方法で神、教会、隣人、家族に仕える。
救いにおける信仰-Salvation;トマス・アクィナスはこう言った「人間の幸福は神を見ることにあり、これは信仰の対象であり目的である。」
聖化の信仰-Sanctification;「真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。」(ヨハネ17:17)
聖化の目的は、キリスト者が神の像に conform (一致)するプロセスである。
それは神の像を回復し、神の品性に似ること、そしてキリストの道を歩むことであり、神の言葉が生活に結びつく信徒になることである。
(1) 神を喜ばせるために人間が創造された目的を理解し周囲の人々に主の愛を広め他者の利益のために生きること。
(2) 私たちに託された働きが主の召しであることを知り、主の御意志に従って行動し、実践し、神の国の拡大に努めること。
(3) 救われた者としてのキリスト者の生活は、楽しみや生活のためのものではなく、神と隣人に仕えるために与えられた機会であり、生活の態度は分かち合い、仕えることである。
「礼拝する共同体」
(1) レビ23・3「六日の間仕事をする。七日目は最も厳かな安息日であり、聖なる集会の日である。」基本的には毎週教会の礼拝(オンラインとオフライン)に出席することを奨励する。年次計画した聖書箇所をもとに講解説教する(講解説教は、聖書の比較的長い一まとまりの章節を取り上げ、その文脈の趣意に沿いつつ説教を構成していく方法)。
(2) 聖書の正しい見方を通して教会を築く。旧約聖書の66冊は神の誤りのない言葉であり、信仰と生活の唯一の基準である。聖書理論(聖書のみ-sola scriptura)に基づき、教会の二つの柱が聖書と教義であることを念頭に、それらを聖書の歴史的告白として強調する。正しい教会を築くために聖書の言葉に戻る-16、17世紀の改革の精神を確認し、模範的な教会を築くことを基礎として教会を確立する。
Ø 聖書朗読キャンペーンを展開する。
聖書プログラムの開発(聖書朗読学校、聖書朗読(毎月の聖書朗読)、聖書暗記コンテストなど)
礼拝では必ず聖書が読まれる。その箇所を信仰の糧にして心に刻む。聖書は毎日一章ずつ読んでも、全部で千百八十九章あり、完読するためには三年二か月かかる。私たちは聖書そのものを読むことを勧められている。聖書を読み、正しく解釈し、黙想し、実践的な応用のために言葉の日記を作るよう努める。
祈祷会 水曜日 19:30 夜明けの祈り会 土曜日午前6:00
(3) 第1、第2、第3礼拝-子供から大人まで同じ聖書のテキストを黙想し、アロマの香りをもって聖書の教訓を共有できるようにする。礼拝準備の祈り(黙想)は、神の前にいることを意識し、聖霊により信仰を言い表すことのできる恵みを願い求める時である。
受難節2025年3月5日-4月19日/受難週Passion week 4月13日‐19日
3月5日(水) 灰の水曜日 Ash Wednesday / 4月17日(木) 洗足の木曜日Holy Thursday / 4月18日(金) 受難日Good Friday / 復活日(イースター)4月20日(日)
「教える共同体」
エペソの信徒への手紙4;13 「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」
Hier stehe ich, ich kan n nicht anders, Gott helfe mir! Amen!(ここに立っている、どうしようもない、神よ助けてください!アーメン!)ルターの95ヶ条の反論は、個人の見解を超えて当時の教権主義に基づく世界観を変える歴史的な出来事として火がついた。
チャットGPTの利用:テクノロジーを用いキリスト教の教義を学び、それを議論し、どのように自分の生活に現れるべきかを考える。
教会の没落の原因の一つは「教義の破壊」Broken the Doctrineである。
すべての宗教には、テキストの原則や原則を要約する教義がある。同様に、キリスト教にも信仰の内容を要約する教義がある。言い換えれば、キリスト教の教義は、キリスト教徒の信念の核心内容を体系化したものである。教義は、キリスト教信仰の基盤を形成する最も重要な要素である。教義は、聖書に啓示された真理を信仰の用語に体系化したものである。教義は人生の地図である。聖書は「福音と律法」または「教義と適用」と呼ばれる。新約聖書の書簡は、両者の関係についてより明確に語っている。ローマの信徒への手紙やエペソの信徒への手紙のような書簡では、教義が最初に語られ、その教義に基づいて適用(Application)が行われることがわかる。そのつながりは接続詞「したがって」である。前の内容と教義を聞いた後、私たちはその教義に基づいて構築し、それを私たちの生活に適用する。正しい教義があり、それが適用されると、正しい生活に現れる。
教義(Dogma)と信条(Dogma)は異なるのか?それと教義との違いは?まず第一に、教義は教会の公会議や議論を通じて一般の教会によって受け入れられた教えを指す。教会が結論を出し、教会の同意のもとに確立したものは教義と呼ばれる。次に、信条は教会の公会議によって定められた短い信仰告白の形で要約される。
例えば、使徒信条、スコットランド信仰告白(1560年)、ベルギー信仰告白(1561年)、ドルト信条(1619年)、ハイデルベルク教理問答(1563年)、ウェストミンスター信仰告白(1647年)、小教理問答(1648年)である。
「交わりの共同体」
奉仕における信仰-Service;「そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:16)。
南町田教会は2025年度も信徒の活動や働きの場の新しい形を探りつつ、「教職と教会員が共に担う」教会形成を目指す。教職と教会員は「神の民People of God」であり、教会が「地域共同体 local community」として仕えるための協力者(edification)になる。教会は「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。と言われるように、人間による信仰共同体である。
私たちの信仰は、私たち一人ひとりを共同体のうちにあって相応しい役割を果たすように、と招く。交わりは参加を生み出す。一人ひとりが共同体の交わりにあって、与えられた賜物にふさわしい働きを十全に果たしていくとき、教会は神の民として福音を証しする伝道する共同体となって行く。
私たちは、共同体における信仰の感覚を通して、「神の民である」という自覚を深めるように招かれている。特に今般の国内、国外における災難による痛みへの被災者の気持ちや状況を理解し、共感することが重要である。教会と世界に「共に」というモチーフが深められたきっかけは、三つの震災(1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災、2024年1月1日「能登半島地震」)である。一緒にいること、寄り添うことはつまり「教会と世界がともに歩む」ことであることを私たちは語る。南町田教会におけるみぎわホームでのケアとコロナ感染症対策寄付活動(お米総計20,000㎏、野菜・果物総計25,000㎏)はそのことを意味する活動である。教会は生きる道や文化の多様性を尊重する。人種、国籍、言語、文化の違いを乗り越えた信仰の共同体とは、すべての教会員が一つの群れとなり共に責任を担い合って育て運営することである。
2025年度も継続して、「社会につながる教会」、「ケアとしての福音伝道」を鍵として礼拝・活動を展開する。
みぎわホーム朝礼拝・経営・後援会 / 上溝家庭集会 / 加藤家庭礼拝 / アロマミニストリー / Lunch Ministry ランチミニストリー(コーヒーコーナー)/ 晩ご飯会 / 指定献金委員会
私たちは、慶弔(結婚式、葬式、誕生日など)を覚えることによって、共に喜び、共に悲しむ「愛のコミュニティ」となることを目指す。
2025年度はさらに地域の人々と共に歩み、教会の敷居をさらに低くしていく。その働きとして、地震や災害の被災者のためともに痛みを負い、安寧と平和を祈る。